2度目のあけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。今日は旧暦の元旦。うちは年に2度元旦をお祝いします。
なぜならそっちの方が楽しいから。
先日の新聞コラム以下に全文掲載させて頂きます。
なぜなら今日から早坂暁展が開催され、松山市民栄誉賞の授与式が行われる日だから。
本年もよろしくお願いいたします。
産経新聞四国版 2月9日(金)掲載
松山市郊外の小さな港町旧北条市は、昭和の天才作家早坂暁の生まれ故郷だ。
生家をモデルにした彼の代表作「花へんろ」は僕が北条に移り住むきっかけとなった作品。地方から見た戦前、戦中、戦後の様子が色が付いて動くように活き活きと描かれ、本を読んでいる時すでに僕は物語の中の町の住人だった。
北条に移り住んだはいいが寂れた町の惨状を見て隣人らと共に「早坂先生をリーダーとした町おこし団体を作ろう」とダメ元で連絡を取り、当時先生が暮らしていた渋谷のホテルに一人でお願いに出かけた。これが先生との出会いだった。
「町おこしなんてのは楽しくやらないと続かないよ。夏に使わないクリスマスの電飾を各家庭から借りてきて、鹿島をクリスマスツリーみたいにキラキラさせたらにぎわうよ」と先生。
「昔からキラキラ光る物や電飾が大好きで、いくつも買ってきて困ったんですよ」と奥様(笑)。
昨年12月、検査を翌々日に控え、先生は奥様とお昼ご飯を食べに行きつけのお店に向かった。下りエスカレータを降りたらそこには大好きなキラキラ光る大きなクリスマスツリー。「やあ、きれいだなあ〜きれいだなあ〜」と言った直後に倒れられた。死因は腹部大動脈瘤破裂。
「どうや、オレの人生最後のシナリオ、なかなかやろ?」と天国でチャーミングに微笑んでおられるように感じる。
先生は四才近くまで立つことができず、診断つきかねる病気に次々とかかり、医者から「十才まで生きられないだろう」と言われていた中、お母様だけはあきらめず、乳母車に先生を乗せ四国八十八カ所の遍路旅に出た。遍路から戻って間もなく歩き始めた先生。花へんろにも描かれた本当の話である。お大師様に助けて貰った先生が、札所と同じ数の八十八才で逝かれたのは天寿だと思う。
早坂先生の月命日にあたる2月16日から松山市「北条ふるさと館」にて早坂暁展が開催される。早坂暁作品には強い反骨精神と普遍的なメッセージ、そして感動がある。(松山市在住 ラジオDJ藤田晴彦)